総意工夫

 

大人はああじゃない、こうじゃないと言っている。子供はああじゃない、こうじゃないとやっている。

 

 

筆者曰く、前者は口を動かすだけの「相違工夫」と見て、非建設的に寡黙となる。後者は身体を動かすことによる「創意工夫(二進法)」の試みと見て、建設的に寡黙となる。どちらにせよ、関わる第三者としては寛容の心が求められる。双方に工夫が見られることに変わりはない。それで良かろう。

 

 

各々の考えを表に出すことは、その内容が適切であるか、否かを知る手掛かりとなる。「アウトプット」は大いに結構なことだ。周囲に、理解の広い心があれば、尚良いと思う。

 

 

「木を見て森を見ず」この言葉を引用して物申す。
森の視点で求められているものは、コミュニティの「総意工夫」である。