ピアノとヴァイオリンの二重奏を例に取り上げてみると、限りなく多くの音楽的な情報を伝えるピアニストがいる。そして限りなく多くの音楽的な情報を聴き取ることが必要と考えるヴァイオリニストも存在する。各々奏者の考えが逆でも良かろう。
相手の音楽的な情報を限りなく聴き取るということは、解釈の行き届いた演奏に繋がる。誠、聴き手側に音楽の本質を伝えることに相違ない。
「本番に勝る練習はない」というが、「楽曲分析・解釈重視に勝る超絶技巧はない」
弾き手と聴き手を問わずして、リストよりもショパンが愛されている理由は、ここに秘められている。
生身の人間が演奏することだから、技巧的に限りがある。手の小さいショパンは、「手が大きければ、こんな曲を弾けるのに…」と思って書いたかもしれないスケルツォ。
疑問の持ち方や受け取り方は人それぞれだけど、こんな細やかな疑問を持ってみることは楽しい。
疑問は疑問のままにしない。思いのままに探究をしてみよう
「限りなく…」
【余談】
ちなみにショパンのスケルツォ第3番で10度の和音を鳴らす場合、竹指輪をはめて代用するのも面白いでしょう。
それとも近い将来、パンダみたいに5本指から7本指に進化を遂げてみませんか? 筆者とご一緒に…。
竹指輪 指に竹を挿した状態
関節を曲げられるように小細工が必要です。
※使用の画像はよそ様から拝借いたしました。
7本指のパンダの骨
親指と小指でオクターブさえ不可能かもしれない。
※使用の画像はよそ様から拝借いたしました。