J,シべリウス本人からヴァイオリンを譲り受けたお孫さんが、シべリウスの作品を演奏している。凄い!
そんなことで、11月4日はシベリウスに関するコンサートの2公演を拝聴。 ※コンサート情報
そのお孫さんとは、サトゥ・ヤラス氏。
12歳の時、分数ヴァイオリンから切り換える際に、祖父のJ,シべリウスからヴァイオリンを譲り受けて以来、今でも現役で使い続けている。ヤラス氏は歳を重ねれば重ねる程、祖父がヴァイオリンを与えてくれたことに対して、感謝の念が絶えないのであろう。
愛着のあるヴァイオリンとは、そういうものである。
遡ることシべリウスが20歳の頃にフリーマーケットで買った2挺のうち1挺のヴァイオリンがヤラス氏に渡っている。1600年代に作られたそうだが詳しいことは忘れた。
ヤラス氏が演奏するシべリウスの作品を聴いて思いついた。演奏は楽器の良し悪しではなく、演奏者がどれだけ楽器の特性を最大限に引き出き出せるか、そして楽器に語り掛ける美を持ち合わせることが音色に大きく影響していると推察をした。
ヤラス氏が仰るには、譲り受けたヴァイオリンのG弦、その次にD弦、E弦の音が好きとのこと。そこにもう一言そえて、「真ん中の音は乏しいかな…」。「真ん中の音は乏しいかな…」のご発言は凄いキーワードである。シべリウスはそれを熟知した上でヴァイオリンための小品を生み出したのだろうか…。元々ある乏しさが、作為的でない侘びを生み、寂びと相容れた作品となる。
案外、2挺のうち。もう1挺の方が優れたヴァイオリンだったのかもしれない。そこをあえて真ん中の音が乏しかった1挺をヤラス氏に譲ったということは、その1挺に愛着があったのであろう。愛着のあるものを愛着がある孫に譲るのは筋が通っている。サトゥ・ヤラス氏の父上は指揮者である。シべリウス交響曲の指揮もしている。
晩年のシべリウスは、12歳の孫サトゥ・ヤラス氏に愛着のあるヴァイオリンを譲ることで、何かを託したのかもしれない。何の根拠もないけれど、筆者は諸説に加担をしてみた。
【余談】
そのサトゥ・ヤラス氏が祖父J,シベリウスの協奏曲を語る。初稿版と現行版の具体的な楽譜の差異など、ご興味がございましたら、こちらをおすすめします。
森と湖の詩サロンコンサート vol.2 サトゥ・ヤラス 祖父の協奏曲を語る
日時:2017年11月7日(火)19:00開演(開場18:30)
料金:一般3,000円 学生1,500円
定員:80名
お申込み先など、確かな詳細は下記リンク先まで
主催者: Conductor/Dirigentin YURI NITTA
https://www.facebook.com/events/482703438756981/
※全然関係ないが、筆者はアウアー奏法のソリストによるシベリウスのヴァイオリン協奏曲に関心がある。