最近、よく目にするようになった言葉である。
筆者はこの言葉を次のように解釈してみた。『思いもよらない幸運な出来事や経験。(意図せずに回って来たツキを幸運に変えた経験)』
普段から事の成り行きを良い方向へ解釈をする人には良い発想が生まれ、良い過程を辿り、やがては良い結果に結びつく。
幸運と不運の釣り合いが取れている時には違和を感じない。物事の捉え方次第でバランスが崩れる。その時に感じる違和が不運を引き寄せるのだ。運気と言うか、やはり普段からの気の持ち方次第といったところであろうか。「病は気から...」と同じである。
運気に恵まれている人へ近づくと、その人も運気に恵まれる。運気に恵まれていない人に近づくと自分の運気が相手に吸収され、下がって行く。
初対面で第一印象が、しっくり来ない相手は、時間をおいて冷静に考えてみても、しっくり来ない。何か、しっくり来ないという直感、すなわち本能で感じたことは正しいかもしれない。
あなたの周りにいるかもしれない。幸運な女神こと毎日がセレンディピティーな人を探して、自分の運気を高めてみよう。
「毎日がセレンディピティー」な人をしっくり来ないと思う人が居たら、それはそれで良しとしよう。「毎日がセレンディピティー」な人と一定の距離をおいて接すれば良いことである。北極と南極の間とは言わず、いっそのこと太陽と冥王星くらいの距離を置いはどうだろうか…。
一定の距離を置くことで、何かが発見できるかもしれない。久しく疎遠にして、頭の中にある余計な物を整理する時間が必要である。
【余談】
「あらゆる作為と 滞りを取り除き、どこまでも自然に、透明に演奏したいと願ったが、どう聴こえているだろうか。」オーボエ奏者 茂木大輔さんの サン=サーンス オーボエとピアノのためのソナタの演奏について、一文より抜粋をしてみた。どうしたら、このような演奏ができるのであろうか?
次の一文に少しは関連があるかもしれない。筆者は勝手にそう思って記してみた。ただそれだけのことである。
「昨日、食べた物が源になって、今日の気となる。食べ物の性質は、それを食べた人にも影響を及ぼす。」