体は大切な何かを教えてくれる

そっと耳を澄ませてみよう。じっと視線を向けてみよう。体から発するサインに何か疑問を感じて、自分なりに答えを出してみよう。

自分なりに出した答え。都合が悪くても、決して黙殺をしてはならない。「何度も同じことは言わないよ」 体がサインを発するのを止めて、沈黙を始めたら穏やかではない。


体も人様も忠告をしてくれるうちは、有り難いと思って感謝をした方が良いかもしれない。 
「今、思ってみれば…」 何かあってから思い出すということは、人生を振り返ってみると山ほどあるものだ。

 

「霜焼けでもないのに右手が痒いな?」、「変な物でも食べたかな?、仕事が立て込んで体の免疫力でも落ちたかな?、お風呂に入って早く寝よっと…」 このように事態を察して対応して行けば、簡易的な処置で済むのである。夜遅く起きていても行動の効率が下がるだけ、ミスどころかミスの見落としを誘発しかねない。早く寝れば治る。自然治癒が一番なのだ。体調を悪化させてお医者様を困憊させてはなりません。

 

ちなみに発症するこの痒み、右手と左手では原因が異なる。アレルギーとなる過程だけに目を向けるのではない。そして対症療法だけでその場を凌いでもいけない。悪さを引き起こす原因、すなわちアレルギー物質に着目をしてみよう。

 

間違いなく言えることは、体調が悪い時に食用して、余計に体調が悪くなる食べ物は避けた方が良い。体調の良い悪いに関わらず、体は対応することに必要以上のエネルギーを費やしている。このことに気が付いて欲しい。

 

集中力の不持続・注意散漫・適切な判断に基づく行動の可否など、少なからずアレルギー物質は何かに干渉をしている。案外「感性と欲求が湧く為の妨げ」となっているかもしれない。

 

無意識に体を掻くことがある。それと同様、無意識に何かに気を取られている。だから集中しているつもりは気が散っている。これは第三者の指摘を受けないと自覚ができない。

 

環境に応じて、「体は大切な何かを教えてくれる」

 

【余談】
このようなことを申しておきながら、美食にありつく筆者。口は何を言っても、何を食べても恐い。そうは言えど、この災いの元と上手く付き合って行くしかないのである。

 

食育は道徳的な質を持っていて、人格と行動に作用する」と文字を置き換えてみた。道徳的な質を抜きにしてもかなり色濃く人格と行動に作用している。