「口を慎むがよい」と自身を諌めたならば、庭の草むしりでもして自分の心の中に存在する利休を訪ねるのが良い…。門を叩くのに気が引ければ勝手口から回るのも良かろう。
筆者の反省とは、このようなものである。
先月は久し振りに都内が積雪に見舞われた。降雪は深夜に止んだが翌日の凍結を危惧して除雪に取り組むこととした。アスファルトの道路はスコップをかけるのが楽である。その一方で石畳の歩道は難儀である。特に側道を跨ぐ場所には点字ブロックの勾配があるので作業が捗らない。その様な場所にはデッキブラシを使う。(熊手が行方知れず)
自宅前の除雪だけでは飽き足らず、近隣の交差点までスコップの幅で歩道を作ってみた。これが意外と楽しい。こんな夜更けに誰がこの道を通るのであろうか? 夜明けの道に活路を見出だすことはあるだろう。しかし夜更けの道に活路などあるのだろうか? 大人げないながら夜更けの道に胸が踊ることがある。今宵、未知との遭遇などあるやもしれぬ。 恐いもの知らずか、恐さ知らずなのか、果てどちらであろうか?
雪融けの水が車道の路側にある排水溝口まで導かれる様にしてみよう。スコップ幅で除雪をして誘水道を確保するのだ。これを行わないと雪融けの水が行き場を失い氾濫してしまう。皆さんは降雪後の交差点において、横断歩道を渡る直前に躊躇うことは無かったであろうか…。
凡そ3時間余りの雪掻きが良い草むしり代わりとなった。その合間に、筆者の心の中に存在する利休が頓知を利かせ楽しませてくれた。
日々の生活において、誇らしげになっている自分を察し、自身を諌めなければ為らない時がある。為しても成らぬ時は途方に暮れたりするものだ。
「成らば利休を訪ねよ」
庭の草むしりは原点に立ち返る好機かもしれない。
【余談】
その家庭の環境は玄関先を見れば判る。玄関先が見えなければ庭を見れば判る。庭も見えなければ積雪後の邸宅前を見れば判る。ちょっとした統計を取ってみた。
鏡で自分の姿を見ながら我に思う。この統計に当てはまらない者が鏡の中に居る。ずぼらな筆者は片寄って美観を意識する所がある。美観よりも美感を意識すべきかもしれない。