今日は、心の養生日和な雨である。
雨の日は何だか心が穏やかになると思わないだろうか…。
その一方で、雨の日は何だかスッキリしないと言う方も居られるかもしれない。ごもっともである。
後者、毎日スッキリした日を望んでいるのか、それとも毎日スッキリした日が続いているのか、そこまで深く追求してみようかな…。
毎日スッキリした日が続いて疲れないだろうか? 疲れない方が居られるならば、かなり自己管理ができる方とお見受けする。
毎日が快調であり、物事が捗る。その土台となっているものは日頃のメンテナンスであり、ご自身のセルフケアでもある。それが自己管理であろう。
読者の皆さんは、身体の疲れは取れても、精神的な疲れが残るなどということはなかろうか? そんな時は、あえて頭の中をぼんやりさせてみよう。「日向ぼっこ」があるのだから「ボンヤリごっこ」があっても良いと思う。
川の滝にはマイナスイオンが発生しており、気分を穏やかにするという。
それならば、降る雨にもマイナスイオンが発生しているのではなかろうか?
滝と雨は質量の違いはあっても、マイナスイオンが発生する原理は同じであろう…。
「雨の日は気が乗らない。」ごもっともな心のサインである。ならば週末の雨を疎んじてはならない。進んで心の養生に務めるべきであろう。週明け以降に物事の捗りを優先するならば…。
心の養生ができれば、熟睡できる環境を安定させられる。
「熟睡環境は自己責任」
読者:明日も仕事ですが、寝床に入っても眠れません。
筆者:寝なきゃいいじゃない…。
読者:それでは困ります。
筆者:「明日はお休みだから、ゆっくりしてようかな…」なんて開き直るのはどうかな…。
読者:話になりません。
筆者:世の中、話にならないことばかりですけど…。
読者:(=_=)
筆者:眠れるか、眠れないかは自分の気の持ち方次第ですね…。「病は気から」と一緒です。
27歳の1824年の初めごろ、シューベルトは不健康に悩み続けていた。
「私は毎晩寝床に入るとき、もう再び眼が覚めないようにと願います。そして朝になると、ただ前日の悲しい思いだけがまた私のところにやってきます。こんなに喜びも親しみもなく私は日を過ごしているのです。私の作品は、音楽への私の理解と、私の悲しみとの現われです。悲しみによって創られた作品のみが、人々を最も楽しませることができるように思われます。悲しみは理解をするどくし、精神を強めます」日記には、このように書かれてあった。