花粉が寄らない雌しべ

「わたしは雌しべではありません」

 

某ピアニストがTwitterで、こんなことを呟いていた。さぞかし花粉症でお悩みだったとお察し致す。

 

花粉アレルギーと無縁の筆者でさえ、今年は檜の花粉に2度ほど悩まされた。目が痛く喉がジリジリする。最初は浅間山が噴火して、灰でも飛んで来たのかと思ったくらいである。

 

花粉が寄る雌しべもあれば、寄らない雌しべもある。そう考えると有り難く雌しべに寄る花粉を「様付け」すべきであろう…。

 

空を舞って飛んでくる花粉なら、いざ知らず、交通費を掛けてチケット代も出費してくれる花粉とならば、もはや花粉様と御呼びする以外の理由はあるだろうか…。

 

花粉が寄らない雌しべ。今一度、ソフト面で原点に立ち返ってみるのがヨロシイ。人には考える頭があることを忘れてならない。お月見でもしながら、その日に行動して来たことを顧みる。この心のゆとりがあれば、何かが変わるかもしれない。誰でも変えることはできる。

 

『すべては決意から始まる』

 

子供の頃に弾けた曲が、大人になってから弾けなくなった。このようなことはプロの演奏家にもあるのだろうか…。

 

 (´・ω・`)

【余談】

飛んでくる花粉と回ってくるツキとでは似ていないだろうか…。

 

誰かとツキでキャッチボールでもしながら、お互いにツキを融通し合うという発想は面白いと思う。

 

たまには外野にツキを回すことも忘れずに…。