ご盛会、居残り勉強と総括

【ご盛会】
10月7日の【音色のあかりシリーズ 第7回 F.ショパン ピアノ プログラム 解説付 コンサート】を無事終えることができました。ありがとうございます。盛会を嬉しく存じます。お客様の大きな拍手と温かい眼差しは若手演奏家の励みとなります。

 

やはりコンサートの趣旨は明確にして、焦点を絞ることが大事であると改めて認識いたしました。ピアノソロのコンサートはピアニスト1名の日程調整が付けば、容易く開催に結びつけることができます。その反面、集客は容易でありません。これはどこ主催者が行っても同じことです。もう一言申し上げるならば、本来コンサートの集客とは主催者が行うべきことでしょう。主催者に集客力が無いと、ご出演をされた演奏家のお名前に傷を付けることになります。これらのことは常日頃、私が心得ていることです。今回も何とか「ご盛会」に結びつけることができたものの、束の間の安堵に過ぎないと言うべきか、毎回躊躇をしております。

以下、運営面で今回のエピソードを申し上げてみたいと思います。ご予約のお客様は開催前日の時点で、定員を大きく上回りました。今回は動画の撮影も入らないので予め席にゆとりを持たせていましたが、それでもお客様のお座りになるイスが足りませんでした。補助用の丸イス、そして病院のロビーにあるイスも集めて備えに備えました。いざ開場してみれば、何とか補助イスを使わないで済みそうです。「今日はこれくらいかな…」なんて高を括っていたら、プレコンサート終演後に5~6人のお客様が雪崩れ込んで来られたのです。やはり備えは正解でした。
 
今回もメインコンサートの石川 奈々歩様にはゴリ押しプログラムこと「プログラムの比率例の“Bのコンサート(9対1)”*1」をお願いしました。10歩押して、譲ったのは1歩だけです。(実は、私の1歩は100歩に相当します。) どこで挨拶、どの場面で解説、インターバル等と事細かに指示をしてみました。そして、今回の新たな試みは石川 奈々歩様に、開場時のプログラム配布をお願いしたことです。開場の段階で石川 奈々歩様とお客様との間にコミュニケーション作りが必要であると判断したのです。どこのコンサートでも出演者様が開演前に、のこのことお客様の前に姿を現すことはありません。まずあり得ないのです。「演奏家として、開演前にお客様の面前に姿を見せるのは如何なものであろうか…」そのような次元の話です。一体、ここの主催者は何を考えているのだろうか…。このように思われることは承知の上で行っています。この試みの目的は、石川 奈々歩様が円滑に解説を行えるようにすること。その一点です。実際の効果はご来聴されたお客様のみ知ることでしょう。演奏家として生計を立てようと思ったら、トークは朝飯前と若手演奏家に心得てもらう必要がありました。便宜的な説明として、日本の演歌歌手がコンサートで歌だけ歌っていれば、長い期間に渡り厚い支持を得ることができるでしょうか…。

 

音楽に耳を傾けるのは人間だけです。(昔、猿がヘッドフォンをして音楽に耳を傾けているコマーシャルがありましたけど… *2) デジタル音源を聴けば済むことを、あえて交通費を掛けてまで足をお運びになるお客様がいらっしゃるのは何故のか? 常に、そのことを原点に返り、考える必要があります。今回のご盛会も、出演者様とステージマネージャー様の結果に結びつかせる為の絶え間ない努力、そして保護者様の支えがお客様の目に映り、お客様全員がコンサートを盛り上げて下さったと思っております。おそらく、お客様にとって居心地の良い環境のサロンコンサートだったのかもしれません。

【居残り勉強】
コンサートを行う会場は、毎回夕方の6時までお借りしています。普段ならば、5時に会場内の片付けを終えて撤収するのですが、今回は新たな取り組みとして、会場借りの残りの時間を出演者様とステージマネージャー様に開放してみました。慰労代わりとでも言いましょうか…。慰労と言いつつも、実は居残り勉強の時間だったりします。大リーガーの鈴木イチロー選手は試合が終わるとグランドに残り、課題の裏付けを行っています。普通は試合が終わると選手は一斉に引き上げてしまいます。ここでイチロー選手が皆と同じように帰っていたら、今のイチロー選手の実績は無かったかもしれません。常に鍛錬が必要であり、予習以上に復習が大事であることを認識していたのでしょう。復習は記憶が確かなうちに行うのが一番です。それと同様に先程まで感じていた身体の手応えは、感覚が残っているうちに確かめて、身体に留めておく必要があります。私は、このようなことができる演奏家を「形状記憶型プレイヤー」と名付けています。写真に写る5人に、居残り勉強とか復習という感覚はありません。どうみても音楽に触れ合うことを楽しんでいます。これで良いのです。楽しむ感覚で身体に記憶できるのであれば…。もう一点、復習は予習を兼ねています。これらの行動を行うことで、次回へ向けて課題が明確となります、後は焦点を絞り突き進むのみ。

【総括】
コンサートが終わった場合、私は真っ先に仕事場へ戻り、遅れている仕事に手を付けなければなりません。しかしながら、今回も総括で物事を締め括る必要があると判断をしました。記憶が確かなうちに裏付けを取る必要があります。そうすればメモなど取る必要はありません。この世に確かなものなど、何ひとつありません。物事は常に変化をしています。世の中に確かなことをしている人はどれくらい居るだろうか? 上を見上げたらキリがないというか、大気圏を突き抜けてしまいそうです。それならば、今まで自分が確かなものと思っていたものは、全て仮定に過ぎないと改め直した方が良さそうです。私は「一期一会」という言葉が好きです。いつもこの言葉を理想としています。人間は確かなものに頼りす過ぎると考えるのが億劫になります。それは頭が学習しているのではなく、身体がそのように学習をしているのです。目に見える物だけが自然とは限らない。目に見えない身体の中の自然に対峙することこそ、人間が生きている間の宿命と言うべき課題かもしれません。運命は変えられるが、宿命は変えられない。

さて、パソコンのハードディスクとメモリー、その他の周辺機器も耐用年数を過ぎているから、交換すべき所は変えた方が良いと思いましたが、中々実行できません。これを機会に思い切って、大胆にカスタマイズしてみようとも思ってみたが、ひとつだけ変えられない所があります。それは「CPU」かもしれません。そこで疑問に感じたことがあります。人間に備わっているものの中でパソコンの「CPU」に該当する部分は何だろうか…。もしも、そこを変えたら別人になってしまうかもしれません。何せ人格の基となっている部分だから…。人格そのものが本来の人間の姿であり、目に見える姿かたちは人格のフォログラムに過ぎない。私はこのように物事を捉えてみました。あくまでの私見です。

本日の晩食はカキフライ定食です。生ビールが置いていないのは、食べた後にコンサートの総括があるからです。

びっくりしゃっくりの主催者は現実と懸け離れたことを若手演奏家に求めています。これを浮世絵離れした主催者と言わず、何と言いましょうか…。すでに次回のコンサートを盛会へ結びつけるための手筈が整っていたりします。

 

「既存の競争に加わらない」この考え方が“びっくりしゃっくりの基”になっているかもしれません。

 

2019年2月17日(日)のコンサートもお楽しみ下さいませ。
 

のらくぼう 記す